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尴尬 真実と嘘 真実なら話していいか [中国語学習]

尴尬 概念分かりにくい。

ふとこんな話が目にとまり訳してみた。


本当の話で難局[真话的尴尬处境]

    出典 梁暁声「中国人的人性与人生」現代出版社 2017/1 P51

 

年を経るに従い話すことを習得し、さらに徐々に嘘をつくことをマスターする。嘘をつくのは、本当の話をすると往々にして自分自身ばつが悪くなったり、話し相手にばつの悪い思いをさせるからである。甚だしきは相手を怒らせ、抜き差しならなくなり、災難だ。

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言い伝えによると、清朝光緒年間にある巡視役人 [撫台]が粗末な私服で街に出た。そこで一人の揚げパン売りの少年に逢い、聞いてみた「ここの巡視役人はいいやつか?」少年は言った「つまらないやつさ。」撫台はそれを聞くととても怒ったが、ぐっとこらえ、言葉も顔色も変えなかった。役所に戻ると、少年を連れてくるように命じ、数十回叩きの刑に処した。

その後少年が大きくなると、世俗的に言えばとても前途有望な青年になった(とても見込みある人物になった。心深く刻み込まれた本当のことを言ったあの時の教訓にとても感謝していた)[后来这孩子长大了,按俗常的眼光还颇有出息(他能颇有出息,实在得感激说真话的那一次深刻的教训)]

 あるとき大臣が彼に話した、

大臣「この文章どう思う?」

彼「いいと思います。」

大臣は頭を振った。

「ある面からいいと言いました。」

大臣は頭を振った。

「私は申し上げたのはある面から、それは焦点を。」

大臣は頭を振った。

「正確に言えばこの文章は少しロジックが混乱しています。」

大臣は頭を振った。

「要するにこの文章は表面的にはよいが、本質的にまずい。はっきり言えばとてもまずい文章です!」彼は威厳ある口調で最終結論を言った。大臣は実は服がしっくりこなかったので頭を振っていたのだった。しかし大臣の彼に対する意見にとても満足していた。   

 大臣は国王の前でたくさんのいい話をしました。ある日国王は彼を召して言った「この詩をちょっと読んで、言ってくれ、お前は今までにこのような筋の通らない詩を読んだことあるか?」

彼は詩を読むと言った「陛下、何についてもあなた様の慧眼には恐れ入ります、この詩は私が今まで見た詩の中で最も劣悪でばかばかしいものです。」

国王は問うた「この詩の作者は自分自身非凡だと自負している、そうだろう」

彼は言った「ご尊敬申し上げる陛下様、それに勝る評語はございません!」

国王は言った「この詩は私が書いたのだ。」

「そうですか?」

彼は心の中にとてつもない不安がかすめた。ただちに不安を抑えて、両手で体中を撫でまわすふりをして敬虔に言った「ご尊敬申し上げる陛下様、ご存じないと思いますが私は高度の近眼で、さっきあなた様の詩を見たときには眼鏡をかけていませんでした。眼鏡をかけてもう一度読ませていただけませんか?」

国王はぎこちなく肯いた……

彼は眼鏡をかけもう一度読むと崇拝するような口ぶりで言った「おう、ご尊敬申し上げる陛下、このような詩天才が書いたのでなければ、天才はどんな詩を書くのでしょう?」

国王は笑って彼を見て言った「以後、正確な結論を出す前には絶対に眼鏡をかけ忘れるでないぞ」

私はこの3個の話を短く編纂したのは、風刺のためではなく、嘘を話す技巧がいったん経験されると、本当の話の存在意義は無くなると言うことを指摘するためだ。本当の話は命ある物と同じように適切な生存環境がいる。この生存環境なくして、本当の話を話すのは愚の骨頂であり、嘘は聡明でかわいいものだ。社会の良識と文明が本当の話を話すようどれだけアピールし、要求し、鼓舞しようとも、本当の話は土の奥深くにうぬもれた発芽しない種と同じようにおし黙っていて、嘘の話は大手を振って歩きまわるものだ。

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梁晓声 千年の病竈  中国人の奴性はどのように形成されたか? [中国語学習]

千年の病竈 中国人の奴性はどのように形成されたか?

出典:梁晓声 千年病灶:中国人的奴性是怎么形成的?」人民網

http://history.people.com.cn/GB/205396/17320585.html

    これは「中国人の人性与人生」現代出版社、2017.1などにも掲載。

中国人は意外にも今に至るも「奴性」にこだわりがあるようだ。

乱暴にこの文章を要約すると次のようになる。

①中国人の奴性は漢民族が宋代に金に征服され、その後元(モンゴル族)、清(満族)征服されたため形成された。

②その後抗日戦争で劣性を捨て去った。

③しかし最近の2,3億の農民出稼ぎは一人っ子で甘やかされ劣性階層を形成。

 中国漢民族はほかの民族に征服されても、結局はそれら民族を吸収同化してしまった。しかしその過程で「奴性」を手にした。そののち、日本は中国を侵略したが、漢族を征服できないどころか、彼らに奴性を捨てさせる契機となった。

奴性を捨てるのに太平洋戦争が大きな役割を果たしたこと、今も中国で「奴性」があると言う主張が新鮮で、この文章を訳してみた。メモとして残しておく。

 IMG_1650岳飛S.jpg

 

「国民劣根性」問題は、「五四」知識分子がまず提起した。これについて誰もが魯迅を思い出す。実際は魯迅だけではなく当時知識人すべてが注目していた。どうにもならないと嘆息する人あり、心を痛める人あり、心こめて啓蒙する人もいたが、魯迅はその不幸を悲しみ、闘わないのを怒った。梁啓超は魯迅以上に「国民劣根性」を糾弾した。陳独秀は「新青年」創刊早々激論を発表した:1919年以前に生まれた者は死ね、1919年以降生まれたものだけが生きるべきだ!どこからこんな言葉がでたのか?国民劣根性に焦点を当てたのだ。彼の言わんとするのは当然肉体のことではなく思想、精神のことだ。蔡元培、胡適も国民劣根性の存在を否定していない。彼らは寛容な君子型知識人であり、同胞を厳しく糾弾するに堪えなくて、思想の啓蒙で直せる、教育で救国、強国をめざし優秀な新しい国民の種を育てた。蔡元培は北京大学学長就任演説で次のような希望を表明した:自由な精神と独立思想を持った新しい国民を養成するという彼の教育思想が彼の本来の願望を表している。

聞一多も国民劣根性について考えている。しかし矛盾があった。友人の海外で優生学を学んでいた友人の潘光旦が聞に手紙で、中国人が優生意識に欠けていると書いたところ、聞一多は返信で「お前が西洋理論で中国人の種族上の劣勢を証明したら、ピストルを手に入れる方法を考える。お前が帰ったらこの手で殺す」。

しかしながら、彼は「よどみ」という詩を書いている。

 絶望的なよどみ

清らかな風でもさざなみがたたない。

捨てられた屑同屑鉄のほうがいい、

いっそお前の残飯や食べ残しの菓子をぶちこもう。

もしかしたら銅は翡翠になり、

鉄の缶のさびは桃の花びらに。

よどみの油被膜で絹織物を編もう、

ばい菌が雲や霞をわかせている

 このような詩は明らかに国情や国民の劣根性を詩としたものである。聞一多は外国から上海に帰るや、時をおかず五・三〇事件が起こり彼は怒り悲しんで「発現」を発表した。

私は来た、私は叫んだ、血と涙に飛び込み「これはわが中国ではない」違う、違う。

なぜ彼は違うと思ったのか?海外滞在時に得た見識から、その時の中国国民が活気ないと強く感じたのだろう。違うと言うのは国家のイメージと国民の活気ない精神状態を受け入れられないと言うことだ。
 当時中国人は、外国人に東アジアの病人とバカにされ、自分たちをアジアの眠れる獅子に喩えていた。獅子は元来獰猛だが、当時我々は麻酔を打たれ、永遠に眠って、怠け猫の類だった。

 清末以前、中国の思想家は国民性について論じているが、その劣性について論じても、それは人類の普遍的な弱さ、劣性についてであって、決して中国人固有のものとは考えていない。

だから、私たちはここで第一の問題、ある種の劣性は中国人だけの先天的で固有なものかという問題に触れる。

私の答はノーである。
 人類は駿馬や良犬のように優勢交配繁殖できない。いくつかの人間性の欠点や弱点は人類普遍で固有なものだ。そしていくつかの劣性は人類だけのもので動物にはない、例えば貪婪、恩義に背くこと、陥れること、虚栄や偽善など。だから人類普遍の弱点、欠点、劣る点についてことさら中国人を批判してはならない。ただ歴史、文化のちがいで、その国の人に広くある種の劣性を生成することはできる。例えば西洋の欧米アメリカは資本主義の継続期間が長く、ある種の列強劣性がある。そのうち最も劣悪なのは奴隷販売、種族への偏見である。

 当然これは彼らの歴史である。

 第二の問題、中国人の「かつて」の劣根性の主なものは何か?「かつて」ということを強調するのは、現在の中国と五四以前とは大きく異なり同日には話せないからである

当時民族の「劣根性」の主なのは奴性(主人の目を盗んで怠ける)で、「五四」知識分子が絶望したのは奴性である。奴性はどのように形成されたか?中国の歴史をさかのぼる必要がある。

かつて唐代中国人の劣根性を批判した人はいない、中国の古い書籍にも記載がない。唐詩は豪快、ロマンティック、格調高い、これが私たちの唐人の国民性形成するのに大きな影響を与えている。唐詩の上述のような特徴は宋代早期の詩詞、蘇軾、欧陽脩、範仲淹に受け継がれている。

しかし宋中期になると、宋詞には頽廃、無聊、言葉のあそびのような自己憐憫などが現れ始めた。傷心涙、相思情、莫名苦、などの言葉が宋詞に頻繁に出でてくる。今日の文学愛好者で詩詞が好きな人の中で、男性は唐詩を好み、女性は宋詞を好む。唐詩は男性の心をつかみ、女性は宋詞の少女趣味を好む。

唐詩の性格が宋後期になぜこのように変わったのだろう?

北宋はしばらくして金に滅ぼされた。いま宋詞三百首を開くと、第一首は宋徽宗の「宴山亭」:

 白絹を裁断し、軽く折りたたむ、淡い口紅をむらなく塗り、

流行のきれいな服、あでやかで美しい色彩にさわやかな香りに溶け込み、

天上の蕊珠も恥ずかしくなるほど。

容色衰え、無情の風雨を経験し、悲しい情景にあい、寂しい庭を訪ね、

また何回かの春暮を経なければならぬ。

そのつがいの燕には世間の苦しみはどうしてわかろう。

天は遥か地は遠く、幾千幾満の河や山に阻まれているのだろう、

昔の園は今どこかわかるわけがない。

夢の中で行ったことはあるが、その夢さえ見れない、

つらい夜寝れないのだから。

宋徽宗が見た夢はどれも大宋王宮に帰りたいと言う夢で、哀れにも囚われの地で亡くなった。

「人の世はたえず移り変わり、今はやがて昔になり、未来はやがて今となる。(子登-孟浩然)朝廷繁栄と交代は、歴史のなかでは常にあることだ。しかし王朝が全く異なる文化に滅ぼされるというのは別なことだ。北宋は完全に滅亡したわけではなく、一部の臣は長江以南に逃げ「南宋」歴史上では「小朝廷」をたてた。「大宋」から小へそしかろうじての存在、これは南宋人の心の痛みにならざるを得なかった。ナポレオンが英国の島で囚われの身で亡くなり、当時のフランス人は心を痛めた。このようなことはどこの国でも傷となり恥である。

よってこの時期の宋詞は豪放にはなりえなく、悲しい句しかない。南宋の士から庶民に至るまで間違いなく憂慮すべき状態、南宋はいつ滅ぶか?という事態だった。人々に全く安心感がないのにどうして豪快に、ロマンチックになれようか。当時李清照は歌っている「今になって項羽のことを思う、江東を越えるのは気乗りしない」

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その後果たして南宋も滅亡した、この時滅亡させたのは元で、元は都を大都に作った。

元朝統治下の人々は4等に分けられた、第一等は当然蒙古人、第二等は色目人(西北少数民族)、第三等は「漢人」金統治下の長城以北に長く住んでいた漢人、第四党は「南人」南宋滅亡以降統治していた漢人。

更に元朝は科挙を廃止した。これにより前の王朝時代に官僚階級についていた人々の望みが消えた。仕官こそが古代知識人のもとめるものであることは周知のとおりである。同時に「駆口制」を実施した。これは南宋捕虜とその一族を元官吏の奴隷と規定し、売買可能、贈り物可能、殺してもいいとした。さらに「匠制」を実行し、数百万の職人を「匠」とし技工の職人奴隷とした。南宋の官吏については「誅捕法」を実行し捉まえては殺したので、彼らは山奥に逃亡し、名前を隠した。南宋の知識人は恐れおののき、「誅捕」に遭い、遁世するしかなかった。

漢族の詩性は完全になくなった、奴隷になりたくなくてもならざるを得なかった。集団的奴隷根性はここから始まった。

 枯れた藤が木にまとわりつき、枝には夕暮れに巣にカエル烏が住んでいる。

小さい橋の下には水がさらさら流れ、傍らに何軒かの家がある。

古めかしく荒れた道には、秋風がざわざわ、

渭匹の疲れ痩せさらばえた馬が前を行く。

夕日がゆっくり西に落ちていき、憂いと悲しみに満ちた旅人がはるかにさまよう。

 今馬致遠のこの詩を読むと、詩人が表現しているのは単に旅人の望郷の念と考えてしまうが、それでは彼の当時の心の中の悲しみをまったく理解していないのだ。

 当時巷ではこう詠われていた。

中華という、中華と申す、中華はいいところ、

元の皇帝が来て以来、十年間のうち九年間は荒廃。

 元朝享国92年以後明朝。明朝は平定から中興、滅亡という普通の経過をたどった。「初期の平定」は「専制」で、専制以外では初期平定はできないものだ。明朝の大興「文字獄」では、たとえ一編の詩でさえ目障りとみなされれば、一族郎党処刑された。270年後明朝は腐敗のため滅びた。

  次に清朝が起こり中国を276年統治した。

世界でこのような経過をたどった国は多くない、このような経過をたどればその国の人に根深い奴隷根性を植え付けると私は思う。奴隷根性たっぷりなら生き延びられる、所謂なるに任せれば生き延び逆らえば死ぬ。これが長くなると、奴隷根性が性格になる。嗣同が死をも惜しまずその奴隷根性を揺さぶったが、山を動かすのは簡単でも、奴隷根性を変えるのは難しい。

 魯迅はこの難点を悲しみ怒り、鬱々として「薬」を発表した。

それゆえ清朝が倒れると知識人はこぞって「国民劣根性」を批判した、彼らの見方は正しく、国民劣根性に対する処方は正しかったが、あるものは優しすぎ、あるものは激烈であった。

こうも言えるだろう。想像を絶する艱難辛苦と感動に値する八年の抗戦と国民劣根性に対する批判とには一定限の関係がある。この批判は疑いなく中国人の霊魂を痛めつけたが、この痛みの後、奴性を捨て去る勇気となった。

要約すると、今日の中国人は、決して梁啓超、魯迅がその当時あふれていた奴性が身についた、ぼんやりして無感覚な中国人ではない。我が中国人の国民性には、これまでにない変化があった。「国民」はただの「民」ではない。現在中国人全般に権利の保護意識が高まっている。一般的な概念の「民」は「公民」に転化している。民は官に発言する、民は役人、高官、政府に発言する、以前は言えなく発信しなかった。「楊三姉妹告発状」で告発したのは官、官庁役所だ。しかし今、これまで平民とみなされていた低階層の人や農民が官や政府を告発するのは当たり前で、奴性は明らかに中国人の過去の烙印となった。

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しかし、考えなくてはいけない現象がある、それは近年来の青年労働者の飛び降り事件である。彼らの多くは農家の子女である。父母よりも理性あるべき子女が死を選ぶなんて、親たちはあきらめきれない境地だ。彼らは親よりずっと脆弱なのだ。これは彼らが農家の子女であるのに実は小さいころから甘やかされたからだ。一人っ子たる彼らは町の一人っ子と同じように「宝」なのだ。だから以前の農家の子女に比べ、それほど農作業したことがない。彼らの投身自殺は「あまやかす」の別な表れと言えるかもしれない。さらにもう一点、もしも彼らが単調単純な環境秩序の中にいて、その秩序が脆弱な彼らの心に受け入れられ、また綿密な人間的な配慮がなければ、彼らは或いは徐々に秩序にあわせようとし、秩序を変えようという主体的意識もなく、奴性に似た秩序のもと無感覚になるか、それとも死をもってすべてを解決というような極端に走る。

2,3億もの多くの出稼ぎする農家子女を、発信力と理性、個人の利益意識そして集団の利益意識を持たせ、必要なときに権利意識を主張できうまく正当な行動ができる青年公民とするのは、全社会の責任だがその道は遠い。

  ネットが普及してから、中国人の社会的な事件への参加意識は限りなく大きくなってきた。特に公平、道義、社会的同情について中国人のこの方面へのかかわり方は情熱にあふれ、絶対に他国に引けを取るものではない。しかしネット上にはふざけた話がとても多い。

 これはユーモアと考えることもできる。ある種のことに対してはユーモアは確かにはっきりした立場を、時には芸術的な表現。しかしユーモア意外にからかう、どう行ったらいいかわからない。
 私個人はネットは公衆が公民社会の要求と意見の場であり、昔の農村の会議を開く場所でもあり娯楽の場でもあった郷場よりいい。会議開催が滑稽であるなら厳粛なことも娯楽になり、徐々に郷場の存在意義も単位娯楽場所に代わった。

  皆さん、時間は分母で、歴史は分子であることを強調させてほしい。現在からの時間が離れれば離れるほど、歴史の現実に対する影響が遠のき、ついには歴史は現在に対する影響がなくなり、単なる記事となる。そうなると人類の歴史に対する要求は、間違いのない正しい単なる真実で、公正な認識価値でしかない。逆に歴史を分母とするなら、人類は歴史から逃れられず、歴史の重荷を背負い、歴史の奴隷になるだろう。

 中国は多民族国家である。抗日戦争で、漢民族は試練を受け、漢民族をして生まれ変わらせただけではなく、漢民族と、満、回、朝、ウイグル等の民族との関係も試練を受け生まれ変わった。このように言えるだろう、各民族は空前絶後の団結をした。古代の歴史は漢民族をあのように、漢民族と他の民族との関係もあのようにした。近代の歴史では、漢民族、漢民族と他の民族との関係をこのようにした。

現実に影響するのは現在に最も近い歴史だ。

中国の現在に最も近いのは中国近代の悲惨な歴史で、それは中国人に深々とある種の歴史的な烙印を押した、とても敏感で強烈な民族主義という言葉でよく表されるものだ。当代の中国人の「国民性」を読み解くにはまさにここを出発点とすべきで、魯迅らのあの時代に総括した特性によってはならない。



注) 文中の投身自殺事件

自2010年1月23日富士康员工第一跳起至2010年11月5日,富士康已发生14起跳楼事件,引起社会各界乃至全球的关注。

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とっても簡単、中国個人旅行(2017年5月)、宿予約、新幹線、スマホ、カードなど [旅行]

中国個人旅行(20175)

 洛陽、開封など河南1週、上海、蘇州、杭州など江南1週合計2週間旅行。

飛行機、宿、列車などすべて自分で手配したが、2009年の成都旅行に比べ格段に快適であった。日本人には数人しか会わなかった!

外国人の多い沿海部と外人の少ない河南では旅行環境が違う。

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 1.ルート選定

 東京鄭州の場合、成田鄭州直行便=羽田北京鄭州<羽田上海鄭州だったので、それぞれの都合に合わせ羽田北京鄭州、羽田上海鄭州のルートで鄭州合流にした。これにはいくか落とし穴があった。

 

2.航空券 一般論として早く予約すれば希望の便を経済的に購入できる。

サイトによって予約できる便、価格に差があり面倒なもの。しかも予約したからといって安心できない。キャンセルや時間変更があり対応に追われた。

 ■便のキャンセル

中国国内の新幹線の普及に伴い航空便数が少なくなっているルートあり注意。そんなルートでは直前に(乗客が少なく)キャンセルされる可能性もある。例えば北京-鄭州間はこの時期12便しかなく、今回も乗り換え時間3時間の便がキャンセルされ、北京で9時間待つ便を提示された。やむなく前日出発とした。

羽田北京鄭州便をお願いした2社にのうち1社からキャンセルの連絡なし!

鄭州空港から市街までのアクセスなど考慮すると、北京から新幹線のほうがいいのかも(高価だが)

 

■便の時間変更

上海鄭州便も2時間遅れの時間変更があり別便に変更した。

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3.ホテル

CTrip(携程)Booking.com28室予約し、パスポート提示で宿泊できた。

大部分の部屋は、、宿泊当日夜7時までキャンセル可能で現地払いの部屋とした。

当然前払い、キャンセル条件付きのほうが宿泊料は安く、部屋の選択範囲が広いがリスクある。

■外国人の泊まれないホテルがあるので注意。外国人は止まれなくても予約できてしまう。

VISAなど国際クレジットカード使用可能と表示されていても河南では従業員が端末操作できないケースあり、現金予備(宿泊費の2倍の保証金)必須。

■河南ではホテル従業員がビザなし渡航を知らないかったため手続に時間かかった。従業員教育不足。

境外人員臨時宿泊登記単:国外から入国するたびに入国後24時間以内に届け出をする必要がある。ホテル宿泊の場合は、原則としてホテルが登録手続きを代行。多分日本人宿泊客が少ないのだろう。

 

4.新幹線

チケットは原則として中国国内で購入。外国人専用窓口はどこでもすいている。

ただし予約状況みていて満席になりそうならCTrip/携程などで予約したほうがいい。予約したチケットは、中国国内の駅又は代销点で購入するか、中国国内の宅配で受領。駅以外は手数料必要。パスポートのコピーがあれば他人の分も購入可能

乗車方法 込み合う駅では最悪発車2時間前くらいから、外人窓口なら最短30分発車前に駅で切符購入など手続き可能

①切符を買う まずCTrip/携程などで空席を確認。售票口に並んで、パスポートを出して買う。外国人は自動販売機では買えない。外国人窓口がすいている。

②駅前広場にある駅入り口(进站口)に並び、キップと本人パスポートチェック(コピーはだめ)

③安全検査 内陸部は厳しい。飲み物取り上げられた人も。

④広大な待合室(候车室)で待つ。列車出発時刻15分前くらいにプラットフォームへの扉が開く。

この扉は発車2分前には閉まる。ぎりぎり乗車はできない。

 待合室P_20170512_180752.jpg

■中国の新幹線は、日本と同じく従来線並行で純粋な新幹線駅は普通在来線駅から離れている。それなのに在来線の駅からも(本数は少ないが)新幹線に乗れる場合もある。例えば杭州東駅は新幹線専用、在来線杭州駅からも1時間に2,3本新幹線あり。

5.地下鉄

乗車方法 下記①,②逆の場合も。鄭州で1時間かかったと言う報告も。蘇州、杭州などでは5分。

①安全検査 内陸部は飛行機より厳しいところも。化粧水取り上げられた人も。

安全審査行列P_20170514_183632.jpg

②切符を買う 現金使用できる自動販売機に並んで買う。中国人も手間取る。

キップ購入行列P_20170514_182123.jpg

㋐行き先の路線を選ぶ

㋑降りる駅を選らぶ

㋒枚数を選ぶ

㋓お金をいれて(510元紙幣、10.5元コイン)、乗車カード入手。最低2元、浦東から人民広場7元、安い。

 紙幣は認識率低い。事前にコイン準備したほうがいい。

③出てきたカードをかざしてプラットホームへ

中国では公共交通機関は非常に安い。バスは空調付きで全域2元など。地方政府はよく頑張っている。ナビで探せば安くてとても便利、今回もよく利用した。

6.外貨両替

NET上では外貨両替できると書いてあっても、実際はやってないホテルがある。鄭州、洛陽などでは中国銀行の窓口でしか両替できず、しかも両替に30分も。上海では中国商工銀行でもでき、10分くらいで。

 

7.スマホ事情 ASUS PhonePad6という数年前の機種持参

中国は日本以上のスマホ大国、どこの地下鉄でもの乗客の90%くらいがスマホ使用しており通信条件に問題はない。

■事前に中国のアプリを大量にDL、役立ったのはWeChat、高徳地図、百度、中文など。WeChatは電話代わり。高徳地図には普通のナビ、キップ購入、迷い後になった時のバスさがしなどとてもお世話になった。どこの町の細かいバスも詳しくとても便利。これら無ければ旅行できない。

■中国では香港Unicom7日シム(150香港)、切れた後はChinaUnicomで10日追加手続き(100香港)。日本国内と同じ環境が実現しとても快適。

chinaunicom2.jpg

スマホ香港モードIMG_1209.jpg

■すべてのホテルでWiFi使用可能(当然Google関係,LINEなど使えないが)だったが、河南地区は不安定だった。

スマホ支払

AlipayWeChat支払いが普及。中国の銀行口座があって紐付けすれば使える。

NETでの買い物、交通機関のチケット購入、大きな店から小さな小吃店での買い物、自転車を借りるのも。自転車はWeChatなら最初2時間無料、以後1時間毎1元。私は補償金200元、140元。

次回行くときはWeChatPayを友人から分けてもらうつもり。

 8.入場料の老人優遇 日本人もパスポート提示で無料入場できるところも。

中国各地の景勝地イベント会場では、年齢70歳以上の老人は入場料免除。しかし河南ではほとんど中国人限定、清明白河園だけは外国人も無料(保険金1元)。蘇州、紹興、寧波では外国人も免除、杭州は中国人限定。地方政府の方針によるのだろう。

年寄りにはありがたいことです。

 


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中国の年金制度のメモ [中国社会事情]

中国年金制度のお勉強

中国は格差社会、年金も!

優遇されている年金:公務員

年金名称都市企業従業員年金公務員年金
対象者都市部の企業勤務者政府、国営企業、関連団体勤務者
負担者企業が賃金の20%
個人が賃金の8%
政府
個人負担なし
支給方式基礎年金と個人口座の積立金政府支給
支給水準退職前賃金の40%~50%退職前賃金の80%~90%
平均(/月)1900元(2013)4000元以上の人が90%以上(2013)
年度調整2016年は6.5%Up2016年は6.5%Up
備考3.2億人
賃金の28%の負担に耐えられず、
農民工は0.5憶人(20%弱)しか
加入してない。
0.7億人(退職者0.1億人)
(正確な統計はない)

 

この政府国営企業の退職者が、爆買い海外旅行の主役になっているそうだ。夫婦で1万元以上の年金あれば、住居費のいらない退職者は、若くして退職者になっていることもあり、活躍できる。

一般的な退職年齢は男性60歳、女性50歳。年期受給開始年齢は男60歳、女55歳。若くして年金生活に入れる。

 雑感:それにしても、中国は官僚と国営企業従業員を養う国。このデータから改めてそう感じる。 日本も似た状況ではあるが。

遇されている年金:農民と非就業者

年金名称新農民居民年金新都市居民年金(非就業者)
対象者農民都市居住の非就業者
負担者基礎は国
個人積立
同左
支給方式基礎年金と個人口座の積立金同左
支給水準78元(2012)都市によって異なる

430元(北京2014)+個人分

680元(上海2015)+個人分
備考4.5億人0.5億人


農民はもともと自分の土地で収穫、収入あるから年金はいらないと言う発想なのだろうか?

都市住民は、専業主婦や失業者に対しては最低保証がある。もちろん都市戸籍なければだめだが。

今の高齢層は大部分が政府、国営企業で働いていたから、年金はとてもいいのだろうが、これからはそうはいかない。中国では公務員や国営企業に殺到するが(最近の修飾応募倍率は1万倍とも。科挙の国だから!)甘くはない。日本のように見かけ上、年金、健康保険などが整った国が狙われているのもうなずける。

問題点

1.年金破たん。労働人口が減り、2050年には2人が一人を支えることになる。ひとりっこ政策を廃止したがとても間に合わない。

中国人口動向.jpg

 2.年金財政破たんのおそれ。気前よく年金増やしている。

都市企業従業員年金平均受給額の推移(単位:元/月)

都市企業年金.jpg

Memo:中国人的資源社会保障部(日本の厚労省相当)では《企业年金规定(征求意见稿)》などで、模索中。


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中国伝統文化舞台 [舞台鑑賞]

中国伝統文化の舞台を見る機会があった。

神韻芸術団(HomePageはここ) 

2017日本公演 2017/1/30 文京シビック大ホール

ホールは満席、学生から高齢者まで、中高年主体。

背景画像の前の舞台での舞踏、生オーケストラ

演目は総計20で、見どころあるものだった。

  • 舞踊劇     7 下世正法,,
  • 中国古典舞踊 6 火焰山,古吏壮志,伞舞,
  • 民族舞踊    3 顶玩舞,脏鼓豪情,
  • 民間舞踊    1 绢花飞舞
  • 二胡演奏    1
  • 歌唱       2

HPを見ると、神話の後羿射日、嫦娥奔月などあるが、残念ながら今回の公園演目にはなかった。

参考に当日のパンフの写真(HPの動画をみたほうがいい):

赤壁

赤壁IMG_0141.jpg

舞踏

舞踏IMG_0142.jpg

民族舞踊 顶玩舞

碗舞IMG_0144.jpg

舞踊の中で、「真善耐」 「大法」、「1999年弾圧」などが語られ、何のことかと、神韻のHPをよく見てみると、舞踏練習するNYの飛天学院では法輪功を取り入れた練習をしている、中国本土では公演不可などと記載あり。

舞踏はすばらしい。養眼のひとときであった。


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武州寄居七福神 [散歩]

今年年始の七福神めぐりは、遠出して武州寄居をまわった。ここの特徴はいずれの七福神も巨大であること。

 東急-東京メトロ-東武で横浜-森林公園-小川町-寄居、2時間半。乗り換え2回で到着。便利。

  車中暇に任せNETで七福神の由来と各神の持ち物を見てみると、インド人3人、中国人3人, 日本人一人、男6人、女1人の混成チームでその特徴は:

  • 恵比寿:日本人、神、。  最澄が台所の紙として祭った。
  • 大黒天:インド由来、ヒンドゥー教
  • 弁財天サラスバティ:インド由来の女性、ヒンドゥー教琵琶
  • 毘沙門天:インド由来、ヒンドゥー教、守護神、甲冑
  • 寿:中国、道教団扇と桃
  • 福碌寿:中国、道教
  • 布袋:中国、道教、布袋(生活用品)

七福神をめぐり歩く人がいっぱいいると思い勇んで寄居駅駅員さんに様子聞いたが、知らなかった。代わりに十二支守り本尊まいりという短いコースと、観光案内所を紹介してくれた。焦って駅近くの観光案内所で地図をもらう。どうも車で回るコースらしく、徒歩でというと絶句。この地図では近場に見えるが、所要時間もはっきりしない。

武州寄居七福神panf_s.png

案内所には見慣れぬものあり、化物のように大きいゆず、鬼ゆずとか獅子ゆずというらしい。

鬼ゆず獅子ゆずsisiyu_2.jpg

夕方まで5時間強あるから大丈夫だろうとたかくくって歩き始め。

上記略図では距離感がない。帰ってから地図で調べるとこんなコースだった。どうも20km以上のコース、たびたび迷い、出会った方々の親切なアドバイスでなんとか。ただし歩いていると言うと絶句。徒歩での必要時間聞いてもはっきりしない。完全に車社会、歩く人などいないようだ。七福神ののぼりは寺周辺だけ、それ以外標識無。バス路線もなし。タクシーも走ってない。

武州寄居七福神Map.jpg

  • 横浜 8:40発
  • ① 寄居 11:00発
  • ② 蓮光寺 12:00着 昼飯。迷いながら歩く。
  • ③ 極楽寺 13:30着 秩父鉄道の線路を歩けば、荒川簡単に荒川越えられるのに 鉢形城址をみながら。
  • ④ 常光寺 14:30着 常光寺でお茶、ご住職のお話をきく。農免道路経由。途中休む場所もなく。
  • ⑤ 長昌寺 17:00着 夕やみ迫る。闇夜の中を歩く。道聞きながら。
  • ⑥ 常楽寺  17:40着 真っ暗
  • ⑦ 男衾駅 18:10着
  • 横浜 20:15着

まずは蓮光寺から。広々した関東平野。八高線にのれば便利だが、電車本数が少ないと聞いて歩くことに。寄居から田畑の中を、八高線沿いに1時間弱。 途上寺が多い。ふう。

蓮光寺遠景IMG_9892.jpg

 布袋尊と福禄寿。確かにこれまで見た七福神に比べ大きく、金色に輝いている。境内のテントの中で陽にあたりながらゆったり。

連光寺福禄寿布袋尊IMG_9894.jpg

連光寺紹介:

蓮光寺IMG_9899.jpg

ここから寄居駅に戻り、極楽寺へ。毘沙門天。

 毘沙門天極楽寺IMG_9907.jpg

 唯一の女性、弁財天。

弁財天極楽寺IMG_9905.jpg

常光寺紹介:

極楽寺IMG_9910.jpg

常光寺の入り口。極楽寺への行き方を聞く。どうも荒川が邪魔しているようだ。

 極楽寺前景IMG_9915.jpg

秩父鉄道沿いに歩く。先に見えるのは荒川をまたぐ鉄橋。この鉄橋を渡れれば定光寺は近いのだが。付近の人の話では電車はあまり走っていないのだが、さすがにこの橋を渡るのは!

秩父鉄道IMG_9903.jpg

やむを得ず迂回して荒川を渡る。荒川IMG_9917.jpg

鉢形城公園を通って常光寺大黒天。

大黒天常光寺IMG_9922.jpg

境内でお茶(ドクダミ茶)をいただき、住職のお話を聞く。サンスクリット語の碑の講釈、境内の石臼の説明、七福神の経緯など。

常光寺真言IMG_9924.jpg

これは真言の”大日如来よ、光明を放ち給え!”。斜めに読むのが面白い(下記と比較)。

真言光明komyo-mantra_5555法楽時.jpg

 境内に敷き詰めてあるのは、水車小屋で使っていた石臼とのこと。

常光寺IMG_9926.jpg

その昔、全部の寺でお茶を出していたが、お茶に異物を入れる事件が発生し、寺人がいないときにはお茶を出さないことになったらしい。今回はここだけ。

またこの周辺の道が舗装され野趣が無くなり、ハイキングする人が激減してしまったとのこと。以前は小川町からのハイキングなどにぎわっていたらしい。

常光寺を後にして農免道路を歩く。

寄居田畑風景2015010411.jpg

 この辺りひろびろ。気持ちはいいが、休憩する場所もなく、もちろんバス、タクシーもなく、ひたすら歩く。広大な運動公園、東京オリンピックではブータンの事前キャンプ地に内定したらしい。

農免道路にはこんなものも。薄暗くなっていたが照明、標識などなく、危ない。ぶつけた後がいっぱい。むやみに車が入らないようにするためか。むつかしい!

農免道路IMG_9932.jpg

 ようやく長昌寺、夕闇が迫ってくる!寿老尊。

長昌寺寿老尊IMG_9936.jpg

長昌寺IMG_9933.jpg

いよいよ真っ暗に。急速に寒く、冷たくなって手袋、首巻などするが、手はかじかみ...。道はわからず、聞く人影もなく、やむを得ずようやくであった車の人に。その後、幸いなことにジョッギングしている人に出会い、常楽寺への道を聞きだせた。

常楽寺恵比寿I1000MG_9955.jpg

恵比寿尊、鯛(向かって右側の赤い部分)をだかえているのをフラッシュで確認。

 恵比寿IMG_9938.jpg

日の短い冬にはこのルートは厳しい。平地ばかりなので疲れは感じないが、寒さに負けそう。真夏は真夏で灼熱の太陽でたまらないだろう。やはり花のきれいな春、気持ちいい秋にぶらつきたいもの。

ところでここ寄居には寺が多い。調べてみると43寺あるらしい。ここだけが異常なのか調べてみる。寺の数は埼玉は多いほうでもない。寺はコンビニより多いと言う。寺総数は全国で77,000寺。確かにここでも寺はよく見かけるが、コンビニはそんなにないような印象。

県寺数town20160216temple01.jpg

寺密度を見ると埼玉県は10万人当たり31.2寺で全国平均60.9を下回り、関東では平均的。それに対し寄居町の寺数は43、人口31、000人。10万人当たりの寺密度は126になり、埼玉県の平均31.2を大幅に上回る。なぜか?何か歴史があるのだろう。


県寺密度town20160216temple00.jpg

■歩行4万歩弱のコースでした。NETによると小川町から寄居までの40kmウォーキングコースもあるらしい。そのうち試してみたいもの。


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大山寺もみじ もう少し [散歩]

大山、大山中社から大山寺 紅葉黄金葉の偵察

大山から見ると富士は雲海の中に聳えている。

FujiUnkaiIMG_9477.jpg

丹沢周辺の雲海も見事

OyamaUnkaiIMG_9482.jpg

中社まで降りると神社の紅葉は見頃。

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大山寺は?

ライトアップの準備で大わらわ

OyamaderaLightupPrepIMG_9529.jpg

あと一週間か

高度差は大したことないのに、麓だから遅いのだろう。

OyamaderaIMG_9533.jpg

山麓の日向薬師は完成まじか

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11/20 日曜日に落慶法要らしい。これからにぎわうのだろう。

今のうちに宝物院をみておこう。

薬師如来・脇侍:日光菩薩・月光菩薩 素朴だ。

 Yakushi9a97867825501943aae524a9f6af00b4.jpg

日光菩薩、月光菩薩(高さ123cm、木彫りとある)をまじかに見ると、 片足を前にだし、腰を薬師菩薩側にずらしている。

薬師寺のもの(高さ315cm、鋳物)ではもっと鮮明だ。 この形は三曲法というらしい。

このサイトには次のように書かれている

三曲法(さんきょくほう)とは菩薩像などが首と腰をひねることにより、頭部、上半身、下半身がそれぞれ異なった角度に表現されることをいいます。

インド美術のトリバンガに由来し、その作例は二世紀あるいはその以前からみられます。

また、中国では七世紀後半から八世紀前半ごろに流行し、日本でも法隆寺金堂壁画の菩薩像などに作例がみられます。

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紅葉からずれてしまった。

 


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梅雨の合間の塔の岳 [山あるき]

久しぶりに晴れるとの天気予報に、塔の岳に行ってみた。

10時近くのふもとは梅雨空だったが、頂上は快晴。

久しぶりに歩くと、強烈な夏の日差しに思わず目もくらむ。これならむしろ曇りのほうがいいのに?!

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しかし富士は雲海に浮かんでいた。

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 強烈な日差しの中、ひんやりした風がさわやか。

山頂でゆっくりしながらぼっとしていると、明日は七夕という話。短冊に何を?年寄りはやはり健康! 残念ながら七夕にはそぐわない。

もともと七夕は中国古代の乞巧奠qi1qiao1dian4(針ごとがうまくなるよう願う行事。奠:祭る)から始まったと言われている。中国では現在、七夕節と呼ばれ旧暦7月7日(2016年8月9日)。中国には短冊に願い事を書く風習はなく(宗派によってはあるらしいが)、現在は愛情節、情人節ともよばれ、日本のバレンタインデー(ただし送物は男から女)類似の騒ぎとなっているらしい。

願い事を書くと言えば絵馬がある。Wikiによれば崇徳天皇の時代、神事に馬を寄進する風習があったが、馬を献上できない場合(仏閣が管理できなくてうけとらない)、紙、木材、土に馬の絵をかいて奉納(もちろん金品も)、次第に絵馬に落ち着いたと言う。いまでは金品に目録だが。絵馬は日本だけの風習か。

日本の願い事を紙や木に書くと言うのはいかにもロマンティック。NET上にはこんな記事。中国人が靖国神社で絵馬に書かれた願い事に驚く。こんなにも政治的な場所なのに、大部分は世界中の若者に共通するこんな願い。願い事を率直に書いて公開するのは日本人だけかも。字がいい。在木板上写上愿望后挂起来。

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山頂も夏花満開。野ばら

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うつぎ

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シモツケ

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葉の緑が目に痛い

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梅雨の時期人が少なくて、ゆったり。久しぶりの保養だった。


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またしてもWindows10に敗れる [パソコン]

Windows7からWindows10にUpgradeしてから数日間はとても快調に使えていたが、

突然不安定になった。

スタートボタン(Windows10ではlaunchボタン)が左クリック無反応になった。右クリックは生きているのでかなりの部分は処理できるが、設定できないものがある。

win10unstable.jpg

ネット上にはこの対策がいくつかあるが、いずれも昨年段階でのものが多く、すでにMicrosoft対策済み。

スタートアイコンが時々消えるこれが消えると同時使用中のファイル(アプリ)を切り替えるとき困る。消えるのは一回当たり1分くらいなのだが、これは困る。これもNET上には対策あったが、残念ながら直せなかった。

ブラックアウト。頻度は少ないが突然起こった、再起動で治ったが、これ以後上記のトラブルが起こるようになった。

Virusチェックしたが、問題なさそう、NET上にこのようなトラブルが記載されていることから、Windows10の問題と判断しこれ以上トラブルにつきあう気がせず、Windows7に撤退

前回のUpdateではこのようなこと起らなかった。今回弄繰り回したのは、中国語のIMEの所。手書き入力やGoogleIME((Win10非対応)を追加した。おそらくこのIMEが原因だろうと推定。

Win10の既定の中国語IMEは今のところ出来が悪い。MicrosoftのものならWin7で使えるIME2010SimpleFastが最高。

いくら暇でもこれ以上おつきあいできない。microsoftはやみくもにWin10 Update進めているが、PCメーカーがWin10対応のドライバーなど追加して開発した機種以外はおそらく正常には動かないだろう。後追いでそのような開発するメーカーは少ないだろうから、Win7をWin10にUpgradeできる機種は稀少なのだろう。

Windows10は新規PC購入まで待つことに


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リベンジ Winsows7からWindows10にUpdate [パソコン]

前回失敗だったが、Windows7に戻して余分なソフトを削ったり、ドライバーなど最新にしたので、再度Windows10に挑戦。こんなこと暇だからできる。

結果1 入力時カーソルのとびはなくなった

結果2 DVD:WindowsDVDはどうしても正常に動かない。どういうわけかCyberLinkが復活しDVD再生OK

結果3 Google中国語IME(Windows10保証外)のインストール。意外にも使えて、入力快適。中国語IME Microsoft PinYinはピンイン入力の修正不便(訂正位置以降すべて入れ直し)および手書き入力できず。中国Microsoftの入力IME2010が使えないのは残念だがあきらめる。

Microsoft PinYinは手書き入力設定済なのに、下図〇部オプションが出ない。 使い方が悪いのかも。

 winAllCtlLang.jpg

 結果4 コントロールパネルは毎回フリーズ。 対策として、スタートを右クリックし「プログラムと機能」から入って、上図のように必要なところにアクセスできることが分かった(理解できないのだが、使用上問題なさそう)。

Windows10にもいいところありそうなので、何とか使いこなす方向で進めることにした。今回全体クリーニングしたので、操作性がよくなった。

Update後1月過ぎるとWindows7に戻せない」:どうするかはその頃また考えよう。

 


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