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江西省と長江沿いの旅(1) 高鉄最新路線図と高鉄事情2019/5 [旅行]

2019-5/18から6/1まで中国江西省、張家界と長江沿岸の町を旅した。


帰国後6/8から江西省中心に豪雨で24万人が洪水の被害という報道。湖、川など水源豊富で豊かな土地と思ったが、今回の豪雨では江西省北部の中国最大の淡水湖鄱阳湖の水位が上がり、このような甚大な自然災害。被災地の早期復旧を祈る!


旅行では大部分高鉄を利用した。切符購入などはどこの駅でもわずか10分程度で済み、しかも列車は定刻通り運行、車内も快適であった。列車はどれもほぼ満員で高鉄が有効な交通手段として定着。




以下高鉄事情


1.外售点廃止

鉄道の切符は従来、駅と街中の外售点で販売されていた。

今回も何枚かの切符は日本で予約し上海の外售点で受け取る予定だった(予約チケットを受け取るには、パスポート原本必要なため。購入時にはコピーでいいのに!)。ところが上海磁浮龍陽路の外售点に行くと、店がなくなっていた。周辺で聞くと廃止になったとのこと、ほかの外售点も廃止に。

中国人は自動券売機(身分証認識、パスポートは認識しない)で簡単に購入できるので、外售点は廃止してもいいのだろう。


しかし自動券売機を使えない外国人は窓口購入必須。

今回はやむなく乗車直前に上海虹橋駅で取票した。

shanhaiNankin.jpg
これは西安行きで、南京までノンストップ約1時間。
2.路線
中国の鉄道は乗換なしで目的地へ移動という考え方!したがって幹線には始発終点の異なる列車がいっぱい走っている。例えば上海虹橋から南京南なら、
上海虹橋ー煙台方面、上海虹橋ー蘭州西、上海虹橋ー北京南、杭州東ー合肥方面、杭州東ー北京南こんな多様な列車が走っている。
日本はきまった路線を運行、乗り変えて目的地へ。博多ー函館、熊本ー金沢なんてことはない。
3.要人移動による乗車制限
次は南京から南昌まで。
南昌の主要高鉄駅は南昌西なのだが、この日の南昌西はどういうわけか1月前でも取れなかった。南昌駅は街中なのだが、地下鉄がつながっていなく不便。
南昌でTV見ていたら当日習主席が南昌に来られていた。そのため南昌西駅周辺は閉鎖されていたそうだ。日本ではみられない状況。
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4.高鉄、城際(町と町をつなぐ)鉄道、在来線
全国規模で計画された高鉄と城際(町と町をつなぐ)鉄道、在来線が入り乱れて駅も分散しわかりずらい。南昌西と九江間(北京西駅から香港油尖旺区九龍紅駅を結ぶ京九線の一部)の高鉄線路に南昌からの線路をつぎ足し城際鉄道と呼ぶ路線がある。ただし南昌と南昌西を接続する高鉄はない。北京ー天津間とよく似た状況。
nanshoKyuukou.jpg
5.高鉄あるのに不便な路線ーー陶器の町景徳鎮から長沙へ
景徳鎮長沙間の直通高鉄はなく、杭州ー長沙線の南昌西か上饶で乗換え必要。ところが南昌西ー九江ー景徳鎮ー上饶間の高鉄が極端に少ない。やむを得ず高鉄景徳鎮北ー南昌、南昌から南昌西はバス地下鉄1時間の旅に。
九江ー景徳鎮ー上饶間は過疎高鉄?
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南昌から南昌西へはバスと地下鉄。
南昌駅をとおる地下鉄は建設中。
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長沙から岳陽へ 岳陽では岳陽楼、洞庭湖観光
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その後岳陽から武漢
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6.複雑な武漢へ 時間変更払戻不可
武漢は3つの町が合併してできた街で、高鉄も3駅、3駅間はつながっていない。観光経路と次の鎮江(鎮江と鎮江南駅の2駅あり)関係で漢口ー鎮江を上海で購入済だった。駅に早く着いたので、早い列車に変更しようとすると、「中国の携帯を持っていないと変更も払い戻しもできません!」
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漢口では改札口混乱し、珍しく改札で駅員がパンチを入れた(下部切込み参照)
自動改札はよく紛糾するがこんなことは初めて。
これではデータ入力できていないはずだが。
紛糾の原因は、列車間違いや切符の代わりに身分証つっこむ者もいるため。
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7.大都市では複数の高鉄駅がある
鎮江に2駅(鎮江と鎮江南)、上海に2駅(上海と上海虹橋)。相互間は高鉄なし。
このような場合、高鉄には4ルートある。一般に高鉄専用駅間が最も早い(乗車時間が短い)が、宿泊場所や最終目的地を勘案してルートを決めることになる。


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令和の根拠と言われる万葉集と中国古典帰田賦の原文


令和の根拠と言われる万葉集と中国古典帰田賦の原文(いずれもWiki)


梅花歌卅二首[并序]  作7-8世紀 780年万葉集

天平二年正月十三日 萃于老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇 古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠

 

 138年(東漢) 張衡作 文選(6世紀六朝梁 昭明太子編纂)

都邑以永久,无明略以;徒川以羡河清乎未期。感蔡子之慷慨,从唐生以决疑天道之微昧,追父以同嬉;超埃遐逝,与世事乎

于是仲春令月和气清。原隰郁茂,百草滋荣。王雎鼓翼鸧鹒;交颉颃,关关嘤嘤。于焉逍遥,聊以

吟方,虎山丘。仰纤缴,俯钓长流;触矢而贪饵;落云逸禽渊沉之魦

曜灵俄景,系以望舒。极般游之至日夕而忘劬。感老氏之遗诫,将回乎蓬五弦之妙指,咏周孔之图书翰墨以三皇之。苟心于物外,安知荣辱之所如

万葉集のは貴族の宴会の歌で、文選のはいつまでも引退を許されなかった有能忠実な高官がようやく解放されたことを喜んでうたった賦という違いはあるが、旧暦2月(西暦の4月ころ)の春めいた景色をうたった一節が似ている。

ちなみにこの「帰田賦」は現在の小学校教科書にあり、中国の若者はすべて暗誦しているそうである。だからすぐ中国のネットで話題になったそうである。

 万葉集のこの歌の作者は、山上憶良(660?-733?)という推定もある。彼の先代は百済人(令和の発案提言者と言われる中西進博士の説)とも言われており、遣唐使として中国に派遣されたこともある知識人。当然この唐代知識人必須の文選をマスターしいわゆる唐詩詞を詠み、その流れで和歌を作っていたのであろう。
国文学者の中西進博士は当然これらのことを承知の上で、安倍政権が国書重視ということで根拠を万葉集にしたほうが採用可能性高いとみたのかもしれぬ。
万葉の時代、その後もそうだが漢字を使う限り歴史ある漢字文化から逃れられないのは当然、逆に明治以降は十分恩返ししてきた。
令和、
まずはじめに 命令、法令、令状など抑圧的なものを思い浮かべる人もいたのではなかろうか?
これは社民党党首の談話にあった。和令なら令に和せ、いや仲良くせよという「きまり」になるのかな?
日本語辞書では[令]にいい季節のような用例は見当たらない。
①れい
 言いつける
 掟
 長官
 よい、立派 巧言令色
 相手の親族に対する敬称 令嬢、令室、令息
②りょう

 言いつけ

 おきて


中国語辞書では

 2声 令狐

 3声  印刷用紙の数量単位

 4声 命令、命じる

    季節 

   [文章語]よい、親族関係者への敬称

    詩や曲の曲名の一つ

 

それにしても、それ以外の年号候補

「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」

年号にこんなものしか推挙できないものか?当て馬か?


中国では昨年10月21日に「令和」が日本酒類名として河北省の商標会社から商標登録されていると報道されている。日本では登録できないようだが中国にはこの名前の日本酒類は輸出できないらしい。世界中どこにも商標登録されていない名前を探すというのも大変なこと、意味ある仕事なのだろうか?

日本のほかには台湾が年号使っているが、日本のように天皇に対応するものではないにしてもどのように扱うのだろうか?


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北京旅行 4 邯鄲から安陽 日本侵略の怨念 [旅行]

2018/10/14 北京から邯鄲、安陽

高鉄で北京から邯鄲、叢台と黄梁を見たのち、タクシーで安陽文字博物館


北京を離れたら広大な小麦畑、周りに工場は見当たらないにもかかわらず相変わらず大気汚染。

隣席の中国人は小麦灌漑水が蒸発するのだと言っていたが?


ほかのところでは戦争は歴史だと言って感情的になることはなかったのに、今日はこれまでにない反日感情に遭遇。

高鉄の中で、あるいは邯鄲で出会った複数の方々から、日本は侵略、軍国主義復活けしからぬという激しい叱責を受ける。ほかの地域にはない特殊性があるのかとこの地区の戦時記録をひも解くと、この地区の戦争被害は甚大。


1937/7/11 日中戦争開始:盧溝橋事件 8/9上海事変

1937/10/10 石家庄占領

1937/12/27 山東省済南占領

1938/3/28 河南傀儡政権

1938/4/7 徐州会戦開始 

1938/6/9 黄河決壊

(蔣介石が黄河堤防爆破し日本軍の武漢侵攻作戦阻止をもくろんだ。目標未達、災害誘発)

破壊後の大雨で決壊した花園口からの水で琵琶湖以上の面積(河南、山東、江蘇、安徽)が水没、

上海近くの長江に合流(下図は百度百科)。

ある洪水被害統計:死亡者89万人、家を失った人1200万人

黄河洪水百度.jpg


1942年から1943年にかけて河南省では水旱蝗湯が追い打ちかける

(氾濫による水害、水が来なくなった地域では干ばつ、イナゴ、湯氏過酷徴税)

飢饉被害:ある統計では河南省東部当時の人口678万人に対し、

他省などへの難民120万人、死亡者32万人


1944/4-1945/1 大陸一号作戦(中国では豫湘桂会戦)

 

この河南地区、特に河南南部では侵略戦争関連被害甚大。

日本軍による侵略がなければ、蒋介石による黄河決壊はなく、このような災害はなかったであろう(出典:新潟大学アジア研究2015)。

堤防は1947年に復旧し、黄河の流れはようやく元に戻った。


なおこの研究では日中戦争期間中国人口3億6千万人中9千万人が難民になったとしている。


邯鄲は中国で唯一古代から名前の変わらなかった街だそうだ。

叢台主人公の武霊王は戦国時代の趙王

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叢台公園

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この中に叢台
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この後は邯鄲の夢で有名な

これは唐代の沈既済「枕中記」

主人公の盧生が、邯鄲で、道士・呂翁に出会い、枕を授けられる。その枕で眠りについたところが、まだ黍の飯が炊き上がる前に、自分が立身出世を果たし、栄達の限りを尽くして死ぬまでの間の出来事を夢みた。それによって、盧生は人生の儚さを悟った。

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仙境

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内部の壁画
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次は安陽 文字博物館。見ごたえある。必見。
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広場のディスプレー
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館内には殷墟からの甲骨片、甲骨文字の解説、文字の進化など。
下記は中国教育局のカレンダーから
甲骨文字
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周代の金文
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秦の隷書
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王羲之の蘭亭序
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このほかにも枕の展示があった。
枕中記の盧生はどんな枕で夢見たのだろう?
金時代
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清 同治年間
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いろいろなものあり楽しい。形状とその時代の技術水準がうかがえる。
この後はホテルへの途上文逢塔、 公開時間を過ぎではいれず。明日再来。
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今日は内容盛りだくさんで、疲れ果てた。

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北京旅行 2 黄崖長城(天津市) [旅行]

2018/10/12 北京から清東陵までバス(遵化行 清東陵下車)、2,3時間清東陵見学後、午後タクシーで天津市薊県北部の黄崖長城。

この長城は北斉時代(西暦556年)建築開始、746年安禄山改修、明代大改修し、現在は世界遺産となり、毎年マラソン大会など開催されている。


八達嶺などに比べ観光客少なくゆったりと散策楽しめる。


長城レイアウト

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黄崖関からミニバスで太平塞、そこから長城2.2kmを徒歩で黄崖関に降りる。ミニバスの運転手に、もしここに帰ってくるならと電話番号を書いた名刺を渡された。
歩いて降りるのに、何を好き好んで上って戻るのかと不審に思った。
明代の抗戦英雄 戚继光の像
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歩き始めるとUP-DOWN激しく、しかも階段の整備されていない急坂、階段段差大きいところなどつらい。
ようやく運転手の言った意味が分かった。
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古代556年の烽火台
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明代 隆慶年間の修復工事で消息不明となった河南省派遣の工人を探しに来た奥様方が、亭主に代わって修復に携わった。これを記念して作られたという寡婦楼。巾帼は女性の飾り布で、女性を指すらしい。
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こんな美談は知らなかった。
むしろ こちらのかと思ってしまった。ここに碑を作るわけないが。
孟姜女 民歌
長城建設苦役に従事した夫を探しに来た女房が亭主の死を知り長城を泣き崩す。
葫芦结籽生孟姜,喜结良缘遇范郎。
千古一帝秦始皇,拆散一对好鸳鸯。
范郎修筑长城死孟姜哭倒长城墙
贞烈女子性情刚,为保全节跳了江。
きつい上下。地元の人は1時間コースとのたまわっていたが。馬で登る手もあったようだ。
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ようやく黄崖関が見えてきた。
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この関所近くの民宿に一泊。この辺り海外の観光客も多く、英語達者な民宿も多いとのこと。
夜は近く(承徳側)の青松嶺というところの江南を模した公園の夜景見物。
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この辺りは昔からの皇帝がそうであったように、江南の水辺風景が羨望の的なのだろう。
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夜の水辺とライトアップ
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翌朝薊県までタクシ、そこから高速バスで北京に帰る。

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北京旅行 10 盧溝橋 抗日戦争紀念館 [旅行]

2018/10/20 抗日戦争博物館から盧溝橋(マルコポーロ橋)。

宛平城といくつかの公園になる広々とした地区でゆっくりと楽しめるが、バス停はその外周にしかないのがつらい。

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東側から宛平城に入る。南から北京に入る場合には永定河にかかった盧溝橋を渡りこの宛平城に。宛平城の中心は文化歩道街となっておりそこに抗日戦争紀念館がある。
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立派な建物、賑わっている。
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国の恥を忘れるな!
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戦争勃発
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これを書いている12/13は南京虐殺紀念日だ。勃発から約半年後の1937/12/13を基準にしているようだ。
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南京虐殺。
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展示は微に入り細に入りとても丁寧だが、目をそむけたくなる残虐な記録多い。中国人が意外に静かに展示を見ていたのが印象的。日本人としては穏やかな気持ちではいられない。
武器も各種展示されている。
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毛沢東の実事求是
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戦後の贖罪
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日本ではこのような記録は見たことがない。
軍部の独走、マスコミの扇動、国民の熱狂、失敗に責任持たぬ体質など反省すべきことはしっかり伝えていく必要があると感じた。
盧溝橋
乾隆帝の筆になると言われる盧溝暁月
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橋の石畳や、両側の彫刻の表情など飽きない。
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橋だけは古い時代を保存しているが、公園の周りは高速道路、川の向こうは新幹線。


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北京旅行 12 法海寺 八大処 香山公園 [旅行]

2018/10/22 北京市西部の法海寺、八大処、香山公園など歩き回った。


地下鉄とバスで回ったので移動に時間かかり特に香山公園については見どころを逃したのは残念。北京市に広さと、それほどでもないと思っていた空気汚染であったが、山から街はかすんでいた。これから冬になったら大変なことになると実感した。


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法海寺(翠微山南麓)は、明代の絵画が保存されているということで、以下のようなものと期待していったが月曜休館でむなしく宦官の墓を見ることになってしまった。
IMG_6120_法海寺水月観音.jpg
 
法海寺の周辺だけがきれいに整備されて門前町となっていた。
IMG_6121_085340法海寺門前町.jpg
入り口の案内だけがむなしく。
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門前の公園で運動する人、道には翠微山ハイキングに向かう人など。いいところないかと聞くと、現在工事中で入れないかもしれないがといいながらも、明代の宦官の墓を教えてくれた。この宦官はど3皇帝に仕え、万歴皇帝に破格の待遇(紫禁城内で乗馬が許された)を受けた太監 田儀という。
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地下宮殿まである。
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田儀は1605年に亡くなった後、宦官7人が後追いしたという。現在文物館は工事中で見られなかったのは残念。
バスで八大処に移動
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ここは休日、特に春節などには大混雑するらしい。寺参りは霊光寺、山登りハイキングは8か所(実際は7か所)の寺巡り。入り口付近は華やかな雰囲気。
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第一寺 霊光寺には中国人だけではなく、世界各国の僧侶がお参り。平日でもこれだけなのだから、春節は身動きもできないのでは。
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本尊などはきんきら。
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善男全女 仏教も人気あるようだ。
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その上の大悲寺も立派であるが、どういうわけか内外僧侶のお参りはない。
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ここもきんきら。
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この上の寺は小規模な寺で、大部分はハイキングの人。
一番高いところには関帝廟があった。
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遠足の小学生だろうか?
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この後、急いで香山公園へ。平日でも若者であふれている。バス停や地下鉄の駅から2kmくらいは徒歩、中国は広いから、歩く距離長くいい運動。車なら駐車場は入り口近くにあるが、渋滞が激しい。土日休日などは身動きできないくらいの人でらしい。
IMG_6213_135308香山公園熱気.jpg
ここにもいくつかの名所があるが、見どころは4時30分くらいまでしか入所できず、あきらめてロープウエイで香炉峰に上る。視界悪し。
北京西部郊外の紅葉は人気あるらしいが、やはり黄葉主体。街中のポプラなど並木はとても美しいが鑑賞している人は見かけない。西山でも紅葉は非常に少ない(日本のような鮮やかな紅葉はない)が、紅葉見学に押し寄せるそうだ。今回の旅行で言った避暑山荘も同じ。樹木の種類によるものか、日中と夜間の気温差が少ないためか?
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日本のどこにでもある紅葉(ホットする)
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視界悪い。下界の汚染は、少しSOの匂いがするくらいで、マスクしている人もいなかったのに(ただし日本に比べたら汚染あり)
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香炉峰にも若者があふれている。
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歩いて下山。地下鉄で広大安門内の宿に。とお~い。

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12/6SoftBank通信遮断と华为HUAWEI悪夢 [世情]

12/6午后に発生したSoftBank通信遮断と12/1华为HUAWEI要人拘束を関連づけ悪夢におののいた人が多いのではないだろうか?

お粗末なStoryを考えてしまうのはTrumpの影響かも?!

それにしてもEriksonのせいだと放置できるだろうか?


こんな悪夢にうなされた

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①USAが同盟国に华为HUAWEI製基地局など情報機器の導入停止を求めた。(事実)


②12/1 USAの要請で华为HUAWEI要人拘束。(事実)

  中国外務省 华为HUAWEI要人釈放要求発表。(事実) 

    人権侵害!などの理由で。


③12/6午后SOFTBANK通信遮断(事実) 

約4.5H CyberAttack。(推定)

  当てつけとして、中国共産党指示でSOFTBANKをAttack。(推定)

  日本政府強要(日本通信企業HUAWEI機器入導入可とする USA説得要求など。)(推定)

  SB会長に圧力 中国企業持ち株放棄、USA説得など。(推定)


④12/6夕方SOFTBANK通信復旧

CyberAttack中止(推定)

  中国政府と日本政府、SB会長など同意(水面下、推定)


12/7 原因:EriksonSoft証明期限切れと発表)


⑤12/7 日本政府 通信企業にHUAWEI機器入導入させないよう強要することは難しいと声明。

  これまで通り通信各社にはHUAWEIを入れることを認めた(事実)。

◆ 

世界各地に散らばった华为など企業内中国共産党員が、中国共産党指示でAttackすればこのようなことは容易に可能。

  ■中国共産党の民主集中制:共産党下級は上級指示に逆らえない。


中国は、共産党の民主集中制と情報技術によって世界を自由にコントロールしようとしている(USA主張=覇権争い)。

++++++++++++++++++++++++++

ICBM、核兵器などに比べ、これらの情報戦争は匿名性が高く、しかも安上がりの可能性高い。北朝鮮もこのことに気づいて核放棄し情報戦に戦術転換、Trump大統領と交渉始めたのかもしれない。

++++++++++++++++++++++++++

今まではPCなどにウイルスを潜入させ、金銭を強要して復旧する手口だったが、この種の国家犯罪の場合には津波被害など比ではないだろう。


民間企業を制御できないというなら、未然防止技術開発と被害保障体制を民間企業に義務付ける必要がある。原発事故のようにだれも責任取らない体制ではまずいことは明らか。



重要技術どうするか?例えばスマホを例にすれば;
a.基幹は自前で(日本OS?)
   :ガラパゴス化、人口少ない自国だけではペイしない。
b.大勢に乗る(例えば中国がAppleOS,Android禁止し、HUAWEIOSにしたら?)
   :人口の多い中国なら可能、更に共鳴国増やせば自由にできる。
c.規格統一(ISO的?)

   :技術進歩に間に合わない。


結局国を守るためには、先端技術を持たねば。守備だけでは先端技術に勝てない。

だから世界覇権争いの繰り返し。

この論理ではだめ!ほかの道は?





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北京旅行 14 天津 [旅行]

中国からの帰国便は天津成田LCC。

北京旅行13日目(2018-10-23)に北京南駅から高鉄で天津移動。高鉄頻発、南駅で15分後のチケット(54.5元)購入し30分で天津到着、快適。北京に比べ海に近いせいか、適当な湿度かつSO汚染臭なく、人々は親切温和な感じで好ましい。

しかし聞くところによれば天津のpm2,5も結構厳しいらしい、今回幸運!

駅前錦江之星に宿泊し、観光後帰国。

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夜の天津古城をぶらつく。鼓楼や周辺繁華街。天津名物お菓子耳朶眼もいい。夜景は写真不良。これは耳朶眼の製造工程のディスプレー、百科借用。
百度_耳朵眼.jpg
巨大で緊張感あふれる北京に対し天津は庶民的な感じで好ましい。
朝6時なのに中国人団体客あふれるイタリヤ街。そのパワーには驚かせられる。
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街の中央部に位置する水上公園、隣り合う周恩来鄧記念館に行ってみる。地下鉄も単純明快、駅間隔も狭くなじみやすい。水上公園では菊花展、一眼片手の中高年男女であふれる。
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わかりやすい展示。 周鄧両氏は人気あるようだ。
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ラストエンペラー溥儀が日本に保護されて滞在した住居が静園として公開されていた。
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清末には財宝売り食い生活だったとされているが、紫禁城から天津に持ってきたものが展示されている。乾隆皇帝の御筆、書画、陶器など。
唐寅《溪山渔隐图卷》
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皇帝、偽皇帝、中共監獄、文革まさに歴史に翻弄。
吉田茂氏との写真も。
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NET上ではここにとても詳しい「静園」解説があった。
盧溝橋に郵便局あり、大きな建物に職員ポツンと一人、客の姿は見えず。国営の不愛想職員と思いきや丁寧な説明。中秋節終わったばかりで、乾隆皇帝の盧溝暁月の絵葉書あふれており、思わず買ってしまった。ホテルで書いて出そうと持ち歩いていたが、街角にポスト見当たらず、郵便局もなく、だれに聞いても不明、あるいは「快弟に行け」、やむを得ずずっと持ち歩いていた。
もう日本に持ち帰りかと思っていたら、たまたま郵便局見つけた、やはり大部屋に職員わずか二人退屈していた。ようやく投函できた。日本には3週間後に到着。今時はがきなど書く人いないのだろう。
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掲げられたスローガン、「緑色使命、緑郵担当」?
49年建国以后,在第一次全国邮政会议上,决定用绿色做为邮政的专用标志。绿色象征和平、青春、茂盛和繁荣。由于有了这个规定,所以中国的邮局、邮筒、邮递员的衣服以及邮包、邮政车都采用绿色的了。
ここ中国では緑なんだ。そうだったのか!
五大道など、平日のためか人から下まばらな繁華街をぶらつく。その後帰国。
天津空港は天津駅から地下鉄15分くらい、午後の国際線は数本しかなく出国諸手続きはあっという間に終わりとても快適。北京首都空港で延々並んで安全検査など受けるより、高鉄30分、地下鉄15分で天津空港から帰国した方がずっと経済的で快適。

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WINDOWS7からWINDOWS10への無償UpGrade成功 [パソコン]

昨年7月ころにはWindows7からWindows10へのUpGradeを繰り返したが、毎回1,2日すると動作不良になり、そのたびにWindows7に戻していた。


無料設定期限直前に全面的に初期化してWindows7に戻したため、Windows10への無償UpGradeはあきらめていた。


先月には私のPCのトラブルについて、その回避方法が、MicroSoftからきていたが、Windows10への無料UpGradeができなくなっていたのであきらめていた。


つい最近下記の記事を見つけ、再度挑戦してみた。

やはり前回と同じ約10時間かかったが、今回はWindows10が改善されていて、1週間たってもとても快調。

  

Windows10Upgrade0.jpg
不親切なMSと思っていたが、
ようやく使えるようになった。粋な計らい。
Windows7は、もうすぐサポートされなくなるという。
無償期限の年末までに身の回りのほかのPCもやってみよう。


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雲南貴州旅行(5) 麗江_束河_茶馬古道 [旅行]

2017/9/17 前日に飛行機で貴陽から麗江。

 今日は茶馬古道の勉強。

麗江 ナシ族の古鎮 束河 茶馬古道

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古鎮の様子
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きれいな水を大切に。三眼井、飲料水、野菜洗い、洗浄。
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大覚宮には茶馬古道博物館
大覚宮は壁画展示
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雲南大学の木弘教授(西族)は,茶馬の道を実地研究し、茶馬古道と名付けた。2004年には古道を紹介したドキュメンタリ「茶馬古道シリーズ徳古道系列之德拉姆」を制作。ここで予告編がみられる。
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以下はその受け売り。

茶馬古道は雲南から四川を経て、チベット、ネパール、インドに至る総延長約5000km、平均海抜4000mの通商路である。ここには馬幇と呼ばれる荷駄隊によってお茶、馬、毛皮、塩などが運ばれた。

Chamagudao.jpg
 

漢代には麗江などに茶馬市ができ、雲南のお茶とチベットの馬の交易がおこなわれた。

●チベットは高地牧畜地帯のため肉食、乳製品主体、ツァンバ(チベット族の麦から作った主食)で、ビタミン不足になる。お茶はビタミン補給、脂肪分解、水分補給の役を果たす。

●中国歴代王朝は常に軍隊用の馬が不足していた。

唐代にはシルクロードとなり、宋代には茶馬司(役所)ができ発展。

明代には雅安にも茶馬司ができ、清代には民間商人(馬帮)が多数出現。

第二次大戦時には抗日物資の空輸拠点となった。
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代には南詔銀生城(現・)付近の山地で採れる茶として中国にも知られていた。中国が雲南を領有した代には普茶として広く知られるようになり、代には雲南からの進貢品に指定され、朝廷でも愛飲された。愛新覚羅溥儀も愛好したという。

しかし、文化大革命1966-1977年)によってその手間のかかる製造方法が毛沢東思想にそぐわないと否定され、一時は中国本土での生産が断絶するほどであった。このとき、多くの普茶が香港、台湾に持ち出されており、現在もビンテージものと呼ばれるプーアル茶の多くは台湾に存在している。現在では中国でも生産が再開されており、東南アジア、欧米、日本などにも輸出されている。

馬帮(荷駄隊):山岳地帯の交易路は険しく、盗賊にも遭遇。renbang.jpg

山越え 
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河越え
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食事は馬帮リーダー(鍋頭と呼ばれた)が手下たちに鍋からわけあたえた。
四川の火鍋?
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ああ! ここでも日本軍が。
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博物館の外には木瓜や金木犀
中国の詩によく出てくる木瓜
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